任天堂から学ぶ、組織の維持・発展
カリスマがいなくなった後の組織って、結構、崩れますよね。
特に、結構独占的に運営している組織で、とくに後釜・後人を育成していない場合は特に。
ただ、俗に言う「ワンマン社長」の中でも、後釜などを育成していなくても、更に強力な体制になった組織もあります。
往々にして崩れるパターンは、後継者育成が無い状態で、その組織のトップメンバー(ナンバー2など)が引き継ぐ場合が多く感じます。
逆に、更に強固な体制になる組織は、全く違う組織からの登用や、血縁者の後継などが多いと感じます。
完全に私の経験上の感覚ですが…。
「血縁者の後継」「全く違う組織からの登用」として私がすぐでてくるのは、「任天堂」さんです。
3代目社長の山内溥氏の就任条件は、「自分以外の血縁者の任天堂組織からの撤退」が条件だった言われています。
それまで、大学生だった山内氏がいきなり社長就任となるのですから、社内に血縁者がいたら経営判断に支障が出ると感じたと思います。(特に人間関係)
また、「経営者としての覚悟」を持つためにおこなった面も見られます。
その後、山内氏は紆余曲折の後、「ファミコン」の成功により一大企業となった任天堂は、
彼の引退時期を迎えます。
彼の「任天堂」経営イズムを完全に社員へ浸透させ、次なる後継者が誰になるか注目でした。
そこで、4代目社長に就任したのは、外部のHAL研究所の社長であった岩田聡氏でした。
周りからの不安をよそに、任天堂イズムをきちんと把握し、「ゲーム人口の拡大」という指針の下、
Wii・DS・3DSなどをヒットさせ、残念ながら若くしてこの世を去りましたが、
構想段階だった「NintendoSwitch」は今や据え置き・持ち運び両方を兼ね備えた唯一無二のハードとなりました。
岩田氏は、ワンマン社長では無く、岩田氏・宮本氏(ソフト部門)・竹田氏(ハード部門)・君島氏(経営部門)で合議系の経営をおこない、任天堂イズムがブレないようにしたもが次に繋がる。
さて、岩田氏が亡くなった後、急遽(と言っていいぐらいに)5代目社長に就任したのは、君島達己氏。
彼は、ゲーム好きの間でも無名なほど、知名度は無い。
山内氏や岩田氏などのようにカリスマ性で通す人物でも無く、岩田氏のようにゲーム開発の畑方の出身では無く、元銀行員で3代目社長山内氏のスカウト登用であった。
山内氏の登用でポケモンにも携わり、その上、元銀行員としての経験で、娯楽業界の分析もブレずにおこない、リリーフとも言える、岩田氏の急逝の後の任天堂を経営部門出身として「支える」社長だった。
通常の組織ならば、知名度・カリスマ性抜群のマリオ(ゼルダ)の生みの親である「宮本茂」氏を据えてしまうと思うが、ここで、君島氏を社長に登用した任天堂は英断とも言える。
NintendoSwitchの大成功を岩田氏の代わりに見届けた(支えた)君島氏は、6代目(現)社長の古川俊太郎氏に社長のバトンを渡した。
古川氏は、岩田氏の秘書であり、岩田氏の下で、経営と人心掌握の術を学んだ。
実は、岩田氏亡き後の後任として5代目社長の候補にも挙がっていたが、
岩田氏の任天堂社長就任前のポストである「経営企画室長」に就任させ、経験を積ませた。
君島氏はまさに、NintendoSwitchの大成功判断とともに、任天堂社長という重役をリリーフし、次期社長を育てた人物と言っても過言では無い。
しかしそれは、君島一人の功績では無く、経営陣をはじめ、社内での経営の方向性(理念・考え方)が浸透している証でもあると感じる。
なお、山内溥が「社是・社訓など邪魔」と断言し、岩田氏は、「社是、社訓がない。 ないことが任天堂イズムなんですよね。 社是、社訓の通りに動いていたら人々は飽きてしまう」と語っている。
しかし、基本的な考え方があることにより、組織は衰退しないと考えられる。
任天堂という社名は「運を天に任せる」「天命を待つ」という言葉に由来するそうで、
その上、「分相応の経営」・「間違いがあったら即修正」するという姿勢が任天堂イズムとされている。