マックス・フェルスタッペンの考え方
F1ワールドチャンピオンのマックス・フェルスタッペンの記事より、
>F1の首脳陣に対し、金儲けのためにF1を変革するのをやめるよう訴えた。
と言う内容。
F1は近年、運営組織の変更を機に、「伝統と格式」から「カジュアル・わかりやすさ」へ変更を進めています。
運営組織が、北米資本のリバティメディアになり、伝統と格式を中心としたF1競技から、
エンタテイメント性を重視したF1競技へと段階的に競技規則や放映方式などを変更しています。
たしかに、見る側として、データ情報の多さや、フォーマット変更による視聴環境の改善、
画面の表示UIの変更(今のフォントはちょっと見づらい…)などを行っています。
マックス・フェルスタッペン選手は、この様々な変化を全面的には反対という立場ではないが、
「少々、エンタメ(収益)方向へ向かいすぎなのでは?」と言う疑問を呈している立場ということ。
インタビュー記事には、
>「重要なのは幸福感であって、幾ら稼ぐかではなく、物事をどのように経験するかなんだ」
>「やらなきゃならない事があまりに多すぎると感じていて、
>時々、続ける価値があるんだろうか?って考える事がある」
と言う彼のコメントがある。
続ける価値がなかったら、契約が残っていても引退すると言うこと。
私は、この考えには大いに賛同したいと考える。
勿論、彼は2度のワールドチャンピオンであるし、余程のことが起きない限り、
今年で3年連続のワールドチャンピオンの獲得は確か。
なので、いつやめても生涯金銭的に困ることはないので、上記の発言が出来るのではないか。
と言うのが世間の大方の感想(感情)だと思う。
確かに、自分の幸福の追求は金銭的余裕が出てから追い求めるのは正論だし、リスクも少ないと思う。
でも、人生の残り時間・体力・健康を考えた時、
『その幸福感と人生の経験を感じる(謳歌する)事が出来るのか?』
ということを考えなければならないと思う。
ハッキリ言って、無謀な退職をした立場だが、この選択を間違えたとは思ってないし、
間違ったと判断させる結果にしようとは微塵も思わないし、しない努力をするだけ。
出来るかどうかではなく、「する」だけ。
いつか近い将来、
「仕事がいやだ?aikoの花火の歌詞にもあるやん。
『疲れてるんならやめれば~』って感じで捉えてええんやで。
『一度や二度は転んでみれば~』ぐらいの気持ちでええんやで、知らんけど。」
といって、ライフプランニングサポートを出来ればなぁ…と考えている。
有り難いことに、この日本では、衣食住の最低保障があるから、飢え死にすることはないからね。