日々雑記#45 – 2023.7.15

わかりやすく…するべきなのか、あえて、なのか

昨日、帰りの電車で、天候の影響で秋田新幹線が運休される旨の案内が各電車で流れていた。

「こまち○○、○○、○○、○○、○○、○○号…」って流れているんだけど、
指定時間以降運休だったら、「○○時以降の発新幹線は…」の方がわかりやすいのではないかと思った。

が、それではダメなんだと。

あえて少しわかりづらくしないと、考えないから、頭に残らないんだよなぁ…と。

最近、何事も「どなたにも、わかりやすく、丁寧に」というのが流布された結果、
「何も考えない方々や、何も考えられない方々」が増えた。
この方々のおかげで、何が起きたかというと、
「融通の利かない世の中」ができあがった。

コレが進むと、とうなるか、「理解できない方」が大半を占め、
規格・手順・方法・文化…が固定化され、自由があっても、自由を謳歌できなくなる。
トライすることもしないし、エラーを完全悪と捉えてしまい、結果、生きづらい世の中になっていくうえ、自分で「芯」というか「軸」…判断基準がないので、真贋の区別をつけることができない。

メディアやマーケットのポジショントークに振り回されてしまう。

個人でさえポジショントークの塊ということを知っていて、
自分の思考・信念「芯」「軸」を持っていると、人生触れるものに関して俯瞰で見られて、楽しめるかなぁ…と思った次第でした。
もちろん私は、自分のある程度の信念はありますが、まだ、「芯」「軸」には昇華しきれていませんから、楽しむどころか、ADHDの特性も相まって「イライラ・プンプン」ですけどね。
「何も考えない方々や、何も考えられない方々」と一線を画すには、まだまだです。

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