日々雑記#37 – 2023.7.7

先日、健保組合に提出した「離職票1・2」が返送されてきた。

結構早く返ってきてありがたい。
週明けには、ハローワークに行って、「雇用保険受給期間延長申請」をしなければ。

私は、「健康寿命」を意識するようになったので退職という選択をした。

正直、2021年11月26日に起こった出来事が無ければ、今もぶつくさ文句を言いながらも心地良い会社員生活を送っていたのは間違い無い。

その日、2011年から続けている「全国の護国神社の御朱印集め」のため北海道旅行をしていた。
北海道には3カ所の護国神社があり、札幌市・旭川市・函館市の3カ所にあり、札幌に拠点を置いて、
札幌市・旭川市の2カ所の御朱印をいただき、11/26に函館市で一泊。
翌27日に苫小牧フェリーターミナルより、「さんふらわあ ふらの」で大洗まで移動する旅程だった。

26日に札幌から「特急北斗」にて、函館市に移動中にメールが入った。
副業許可が出た時用にFP2級取得後に民間資格の「AFP」を取得に必要な認定研修を受けていたが、
ADHD持ち前の先延ばし癖により、5月の学科は即終わらせたものの、実技研修については5月に一度不合格となっていてそのまま放置状態だったが、北海道旅行前に、「ダメだったら良いや…」という気持ちで実技の「ライフプラン計画書」を提出していた。
もちろん、この認定研修、FP2級所持が条件なので、実技は添付のテキストに沿って「ライフプランニング表と提案書」を作成すればとりあえず及第点近くをとれる仕組みなのだが、どうも、面白くないので、マニュアルとは違い、自分の価値感(自分の提案したい内容)を中心とした計画書を提出していた。
「ダメだったら良いや…」は、単なる諦めの類いではなく、この提案で合格点がとれなかったら、FPて職業は本当に「詐欺師」の類いだとう確認をしたかった。

メールの結果は、ギリギリ合格点。
世の中のFPが全て詐欺師ではないという確認が取れた。
しかし、今後には必須ではないので、副業の許可がでたら、認定登録をしようと思っていた。

さて、函館に着いた途端、雪がぱらつき、函館の護国神社最寄りの電停に来たときは若干の吹雪。
護国神社は函館山の麓にあり、その坂(山)を上っている間にどんどんと雪は強くなった。
よりには収まったが、世間知らずというか、完全に北海道をなめていたかは定かではないが、
よりに軽装でホテルからコンビニへ移動中に溶けた先ほどの雪が再度凍結していたところで転び、
立てない状態になってしまった。

しかも、電停から降りたすぐなので、ほど道路の真ん中、しかも軽装で、スマホとちょっとした荷物しか無い状態。
幸いなことに、見つけて介抱してくださった方が看護師さんだったため、救急車を呼んでいただき、到着まであらゆる可能性を想定して対処していただいた。
そのまま救急搬送され、大腿部の骨折がわかり、一週間の予定だった旅行は、年越しを含め、1ヶ月半に延長を余儀なくされました。

いくら凍結した路面とはいえ、40代でこの骨折は「骨がもろい」という点と、先日までの超が付くほどの不摂生で糖尿病(ヘモグロビンA1c)の数値が悪く、感染症リスクなども考慮しすぐ手術はできず当分の間はA1cを下げる治療に専念し、術後はリハビリで今までの運動機能のなさから必死でリハビリをする必要があったことなどを痛感し、「健康寿命」の大切さを身にしみて感じました。

3~40代のマネープランセミナー(FPの前段階)の時は、
「医学の進歩で65歳では死ねない」という考えからFPなどで金融知識学び、実践に移し、資産形成をしてきた。

この出来事で、「老後資金が問題なくても、健康寿命が無ければまずい」と実感し、
この後、自分の意識がどんどんと変わっていく分岐点となった出来事です。

退院後、各種数値の改善がなく、副業の見込みもないので、環境を変えるべきと考え、
46歳での早期退職を考え、無職へとなりました。
今の期間は「身体を極力リセットする期間」として、体内数値の改善・運動能力の向上・心身の安定を目標として、「傷病手当金の受給」を考えています。

雇用保険の保険給付は「働ける状態」が条件なので、病気療養中は働くことができないため(傷病手当金受給中)は保険給付がされないが、給付期間は定まっているので、延長という手続きが必要になります。

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