台風2号の影響による梅雨前線の強烈な発達により西から記録的暴風雨な一日。
ウェザーニュースは朝のモーニング帯から危険な状況を意味するM3とよびれる赤帯の表示。
今年の2月から見始めているが、この表示は初めて見た。
(通常時は青。影響が大きくなるにつれ黄~赤へと変わる。)
そんな、日に午後一から愛車プリウスの点検。
そして、午後からは現在受けているセミナー講師との面接。
そのときに思わす感じてたことは、ただ一つ。
サラリーマンというのは、いかに社会的地位と信用というステータスが高いか。
月収は会社が続く限り守られていて、各種労務法律で地位も守られる。
個人での信用がなくとも、会社の信用を享受できる。
二日前に、なんとも最高な環境を自ら放棄(といっては言葉が悪いが、端から見たらこうだろう。)した。
皮肉な事に、たった二日だ。
でも、誰がなんといおうと関係ない。
自分で決めた事なので後悔もしない。
なぜなら、この二日目に「自由」の善し悪しを感じる事ができたから。
今日みたいな暴風雨でも、会社のシステムがリモート勤務に対応していなかったり、
勤務時間もシフト制や出退社時間が固定であれば、基本的には何があっても出社しないといけない。
(前職の職場は、リモート勤務で通常業務は困難で、9時出社18時退社だった。もちろん非常時の勤務時間変更はあるが、各上長の完全な裁量とはいかない。)
それと比べたら、アポイントや相手に影響がない範囲で自由に裁量できる経営者や事業主は自由だという事。(これがよい点。)
自分のことは自分で決定できる自由。(後先考えな刈れば、相手を考えなくてもいい自由。)
ただし、『自由であるが故、どんな選択も自由にできる。』
この「どんな選択も自由にできる」が今の私にはつらい。
自立心も、忍耐力も、精神力も、自尊心も。自己肯定感もない現状では、「この何をしても自由」はほぼ拷問に近い。(これが悪い点。)
ましてや、これまでのサラリーマン生活で築き上げた物(獲得したスキル・ノウハウ)は一般人のそれとは遙かに無いと言っていいほど。
心底にある「日本では死にやしない」という芯すらも曲げられそうな状態だった。
「この状態の積み重ねが、将来のコンテンツになるんです。
日記でもいいので、嘘偽り無くありのまままで、書きましょう。」
この言葉で、なんか楽になった。
これが、この雑記を始めたきっかけでした。